先月買った『自我と無意識』、まだ読み終わりません...
新書版で約200ページなのになー。
ワタシに言われたかないだろうけど
ユング博士は「人を納得させる・わかった気にさせる」という意味での文章がうまくない。
考えさせようとしてる文章だと思う。同じ場所をなんども読み返して、
うーんこういうことが言いたいのかな?? と、自分なりに解釈し直す事を要求されます。
ちょっと知的興奮の波が来るまでが遠くて根気が要るっちゅーか。
先に結論が欲しい人はイライラしてしょうがないと思う。
表現したい内容は豊かで山盛りてんこ盛りなのはよく伝わるのですが、
あっちこっち話題が派生して「で、何の話だったっけ?」みたいな、
おもしろいけど試験の役に立たない授業をやる先生にありがちなシチュエーション。
あんな文章です(笑)
前々から、ユング心理学についての解説書を書く日本人の著者が、みんな口をそろえて
『興味を持ったなら、ぜひユング自身の著作にあたってほしい。ただし難文だが』って
書いてたんですよねぇ・・・(笑)
さわりを読んだだけだけど、よくわかりました・・・。
日本で(とりあえず名前だけでも)ユングが知られるようになったのは、
河合隼雄というユーモアと才能あふれる人が現れて、明るく・軽く・わかりやすく解説してくれた功績なんだなー、と思います。
もし、いきなり授業の課題かなんかでコレを読まされた日にゃあ、
ワタシのような凡人にはわけわかりません。
でも真剣さと情熱は、もうえらい勢いで、ビシバシつたわってくるので。
今まで、河合のおっちゃんの本などから得たつたない知識を動員しつつ、
前に読んだところに行きつ戻りつしながらでも、
毎日数ページしか進まなくても、投げ出しはしません。
あと、フロイトと訣別した後と、もっと晩年では使っている用語も、その指す内容も全然違う。
悪く言えば、統一性・一貫性がない、
よく言えば自説でも訂正すべきものは恐れずに覆し、
常に自分の信念も疑い続ける柔軟な考え方の人だったとも言えます。
とにかく、理論が硬直することや、過去の功績に執着することを好まない人。
「わかりたくない人には、わからなくてもいいさ」という気持ちも伝わってきます(笑)。
必要以上に世を拗ねてたわけじゃないけど、
「実験で証明できないことを扱う奴は科学者じゃねえ!」というのが主流だった20世紀頭の時代に
自分はかなり変わり者だ、ということを自覚してたんだろうなあーと。
曲解・誤解されてばっかりだったんだろうなあ。ナチス支持者と罵られたりしてるし。
宗教と科学のギリギリ境界線に立って、霊や魂の世界をのぞきながら
なお科学の側に立とうとする冒険家というか・・・
なんか、ユングのイメージってそんな感じです。うん。
印象に残った・とても共感した部分を。
第二部・第一章『無意識の機能』 より個人主義と個性化が十分に区別されていないので、この誤解は、ごく一般的である。個人主義とは、集団における配慮や義務とは対立すると考えられた特質を意図的に際立たせ、強調することに他ならない。
しかし個性化とは、まさに人間の集合的な使命を、よりよく、より完全に満たすことなのである。(中略)
それによって個人が、いわれるような意味で「利己的」になることはない。人はただその特性を十分発揮するのみであって、それは先にも述べたように利己主義や個人主義などとは、天地の隔たりのあることなのだ。