昨日はテレビに養老孟司先生が出ていました。
自分も『まともな人』などを読んだのですが。
本が(文字通り)バカ売れしたと言ってる割に、意外と自分の周囲には読んだ人が少ない。
勧めたいんだけど、どう面白かったのかを周りに上手く説明できませんでした。
今回、本人の口から要約したことが聴けて面白かったです。
脳は、呼吸と同じように、情報を吸ったら吐かなければいけないもので。
インプットは常にアウトプットと一対になることでバランスを保っている。
今は勉強も遊びもインプットに夢中で、入力したものを出力する方がものすごく不足しているということ。
そうすると頭が固くなり、物事を一面からしか見られなくなったり、創意工夫したり、情報を疑う能力が低下していくそうです。
うーん、我が身に思い当たる節があるなあ・・・;
パソコンにばっかり向かっていると、いくらネタがあっても
気力とアイデアが枯れてくるのは、実感。
そこで、『じゃあどうしたらいいんですか?』とすぐ聞く人は、一見まともそうに見えるが、すでに脳が固い人ですよ、と。
尋ねる→答えが出てくる、という反射的な考え方は、ボタンで動く機械が増えすぎた弊害である。
どうしたらいいかは自分で考えなさい。すぐに答えの出ないことを考え続けなさい。
答えのない世界・・・自然に触れること。人工物に囲まれた世界は、脳の中で出来上がってしまったものを形にしただけなので、それ以上広がりがない。田舎に出かけられなくても、人間の作ったもの以外のものを1日10分でもいいから見続けると、いろいろな思い込みが取れて脳が柔らかくなる。
そして、体を動かすこと。筋肉に命令を出して動かすことが脳にとっての『出力』になるから。
そんな様々のことを話しておられました。
放映カットされた分も結構ありそう。幕張メッセでの講演会に行った職場の人は
「養老先生よくしゃべるよー。時間足りなかったもん」って言ってましたし(笑)
書いてみると当たり前じゃん、と思うことばっかりなんですけど、
今の世の中では意識してやらないと出来ないことなんですね。
うちのダンナも何やら工業用プログラムを書く仕事をしてますが、夜中に「風に吹かれてくる」と言って、けっこう長い時間徘徊してきます。独身の時は会社を出た足でいきなり佐渡や大島まで行ってしまうこともあったそうです。人がいなくて、海に抱かれた場所が落ち着くみたい。
突然思い立って、二人で明け方の海や山に行くこともあります。
で、ただ波の音や葉のざわめきを聴きながら、ボーっとする。すると不思議と元気になって帰ってくる。
これも、脳がバランスをとろうとしてるのかもしれませんね。
あと、1980年代初めと最近の中学2年生に、同じように身近な風景を描かせた絵を並べられて、今の中学生が描いた絵に絶句しました。
これが中学生の絵なのかと思うと悲しくなってきました。悪いけど幼稚園児以下。
上手下手じゃないです。内容が貧しすぎる。
14にもなって▲と■をくっつけてお家、ってなあ・・・。
観察してないからイメージも出来ないんですね。やる気もなさそう。
養老先生が言っていたのは「ストーリーが語れない絵」。
そうそう! 一枚の挿絵であっても描く時は物語を思い浮かべてます・・・観る人に伝わるかは置いといて。
でないと何も描けませんよ。
それが当たり前だと思っていたワタシには、ショックでした。
活字離れの問題もそうですが、周りの人が嘆く以上に、当の本人が苦しんでると思う。
自分の気持ちを表現する能力がどんどん衰えてるんだもの。
はがゆくって暴力に訴えるしかなくなるのも、わかるような気がします。
でも養老先生、ドラゴンボール以外にもイイ『修行マンガ』はたくさんありますよ~・・・。
『唯一』なんて、決め付けちゃイカンです(笑)。