ドアの猫穴

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映画『花戦さ』を観ました。

近所に咲いているタチアオイ

 

生け花文化をテーマにした映画『花戦さ』を観てきました。

お花を習っている方がお勧めしていたのと、舞台となる時代がどストライクということで。

狂言師野村萬斎氏が実在した戦国時代の花僧・池坊専好を演じています。他にも自分が好きな俳優さんがたくさんで、前から楽しみにしていました。とっても良かったです~!

2列後ろの席のおば様方も、お花の仲間だったようで「素晴らしかった」「観てよかったわー」と絶賛しながら帰って行かれました。

(以下、いろいろネタバレ含みます)

そもそも池坊の華道は花によって荒んだ人の心を慰め、また花の中に仏心を見出す、という信仰につながっていた、ということを知り。その道の歴史の奥深さに触れました。殺伐とした世にこそ必要なもの、忘れてはいけないことがある。

武将好き目線で言いますと、専好が生けた花を前にした、信長と秀吉のちょっとした所作に 人の器の違いが表れていました。

信長の「武人たるもの花と茶に親しみ、人の心を忘れるな」という言葉。人を殺し殺される最前線に立つ人間が、人らしい情や仁を忘れないために、茶の湯や花や和歌などの文化的な活動が、本ッ当にギリギリの「よすが」として、切実に必要だったのでしょうね。

そのために戦乱と並行して、武将に保護されて高い文化が育てられたっていうのは深いものが有ります。

やっぱり信長様はでっけえな!! と思わせられました(何故今まで中井貴一さん信長演じてなかったのか、と思った...素敵だった)。その他にも文化を扱った作品らしく、細やかな所作(花の持つ意味、着物の色合い、茶の湯の音など)に意味が込められたドラマでした。千利休の心境の変化と共に変わる衣の色とか、専好の京ことばと利休の堺ことばとの微妙な違いとかも好き。音楽は久石譲氏によるものですが、それも最小限に抑えた使われ方をしている。BGMが必要ない場面は、シーンとしていて「静寂」を大切に扱おうとしているように感じました。

ただ予期しない人死にシーンにダメージをくらいやすいたちなので(しかも主人公と親しい大切な人々を、愛着が湧いてきたころを見計らったように殺すので)割としんどかった(なので2度目からは大丈夫です)。 せっかく戦の世が終わろうとしてるのに秀吉ってば何してくれてんの!? という悔しさがあり。

大河ドラマ官兵衛観てたら、まだ羽柴だった頃の秀吉の陣屋や長浜の部屋、アッチコッチに(おそらく長谷川等伯の筆によるものと思われる)猿が描かれた屏風があって、ああこの頃の秀吉は、自分がサルと呼ばれる事を 親しみや冗談と受け取れる余裕があったんだなあって。

世界線は違うけど、花戦さに出てくる天下人秀吉は そういう軽やかさ、ユーモアをすっかり忘れてしまってたね...。

コンプレックスが強く、そしてそのコダワリに無自覚に周囲を責め追い込む人が 権力を持つ立場になり、

個人的な好みや嫉妬、嫌悪感に周りの人間を巻き込んで不幸になる罪深さ みたいなものも突き付けられるお話でもあります。秀吉サイドに立って見ると。

自身が画家志望だったヒトラーが、ナチス独裁政権下でシュルレアリスムの芸術家を監視し、作品には「退廃芸術」の烙印を押して弾圧していたことと似ているようで、思い出していました。

そういうふうに見ると、文化とは常に権力の思惑で弾圧される危険を抱えながら、それに「多様性」という武器によって、血を流すことなく対抗するものである...という、今日に通じるメッセージもある。そんな物語だったように思います。いつだって表現をするには何かを、ときには命すら賭ける人がいるのです。でなければ後世に残らなかった...。

 

とりまく有名武将もキャラが立っていて良かったです。前田利家は不器用だけれど優しくて。石田三成は、マジ石田三成...男前、忠臣、でも小者! 主体性の無い忠誠心が、秀吉よりヤな感じ!

本職・池坊の作家さんたちによって表現された、花の持つ美しさに触れて心洗われつつ、笑いもあるし、おじさん俳優が見せる可愛らしさに萌えるもよし。な、お得な内容の『花戦さ』でした。