絵はちょっと前に描いたもの。
第33回の父と子のシーンに、泣いてしまった。
頼家を討つ決定を聞き 憤って修善寺に向かった泰時を止めずに…
義時の『太郎(泰時)はかつての私なのだ』 『あれは、私なのだ』。
そんなにハッキリ言葉にしてくれると思わなかったから...!
15回の、上総介殿を目の前で送った義時の、リフレインのようでいて、違う。
泰時はかつての義時だけど、義時のようにはならないんだよ…。だって、頼家に面と向かって逃げてって言えたから…最期に頼家の側に行って出来る抵抗をしたから。それを息子に許したのは、義時の、頼朝とは違った、ひとしずくの愛だったと思います。「おまえは私のようになるな。こちらへ来るな」というメッセージ。
頼家様、僧形だけど武士らしく刀合わせて戦った最期でよかった。愚管抄に書かれてた騙し討ち(漆…)だったらいよいよつらくて引きずってた…
北条の者には会わんって言って母すら拒んだ頼家様が、泰時くんは通して話をしたの、語られていないところでも遊んだり切磋琢磨して育んだ友情があったからこそですね。一緒に猿楽を見ようって言ったのも、あの巻狩の時を思い出したりしてたのかなあ、と思いました。生きてほしかったけど…「せめて」、ということになっちゃうけど、泰時がすべて投げ打っても自分の味方をしてくれたことを知って逝けたことと、泰時も頼家の死になりふり構わず慟哭できたことが、救いなのかも…。
あと鶴丸! 鶴丸かっこよかったねぇ。泰時のピンチに丸腰で飛び込んでいく…! この主従の絆も泰時が心折れない理由のひとつだなあって。
暗殺者師弟の関係とか 運慶さん(好き…!)のこととか盛りだくさんでつらいけどおもしろい回だった。また改めて記事を書くかも~。