ドアの猫穴

日々思うこと・感想文・気軽に出来るボランティア情報とか書きます。

頼朝...。と、北条の姉弟と、鎌倉のこれから。

頼朝がとうとう息を引き取りました...

政子と出逢ったときと同じ 彼女に出された食物への「これは、何ですか」 という問いかけ。まだ伊豆の流人であった頃のなつかしい言葉を遺して、旅立ってゆきました。

 

まず頼朝の死を悲しみ悼むことに徹する、安達どのがいてくれて良かったなあ、って。鎌倉の誰もが頼朝亡き後の自分、家の身の振り方ばかりを考えている時に。視聴者も救われる想いでした。

政子と義時も、もちろん身内の情としてすごく悲しんでるんですけど、それ以上に託されたものが…舵取りを任された鎌倉の政治のことが重い...。

頼朝、もっと罪の意識にさいなまれ、怨霊の影に脅かされて、殺してきた人びとからの報いを受けるような最期を遂げるのかと思ったけど、そうではなかった。

ただ、ようやく 「神仏の加護や天命を気にせず好きに生きよう!」という境地に達したとたん 「おまえが今生で果す役目は終わった」 とでも言わんばかりに 「天から手が降りてきて、さらわれる」 ように馬から落ちたさまは、逆に 「うわ~なんて残酷なんだ~!」 とも思いました。

頼朝だけじゃない、鎌倉殿の物語の登場人物みんな、怨み憎しみ恐れ...から解放され「好きに生きる」 と心を決めた人から、この世を去っていく(連れて行かれる)気がします。

鎌倉殿の世界観って、欲望や苦難が絶えずもがきあがくこと、それこそが「生」なのだ。そんな人間がいる場所が、「この世」だ。という そういう世界なのかもしれないです。悟った人間からアチラ側に行ってしまうルール。

 

葬送の儀式を終えた義時は、自分の役目は終わったから伊豆に隠棲したいと政子に告げます。

以前、頼朝の命によって謀に手を染めていたときには 「私にはここ(鎌倉)しかないのです」 と言っていたのですが、頼朝が死んだとたん伊豆に帰ります、ってなっちゃって~!?

やっぱり義時にとっては「頼朝がすべて」。鎌倉が居場所だと言ったけれど 「頼朝の隣」 こそが自分のいるべき所で。頼朝のいなくなった鎌倉にいる意味はない...というのが本心だったんだ。

それほど頼朝の存在が人生に占める割合が大きい、大きすぎる義時だったんだと思いました。教わったこと・与えてもらったものだけでなく 彼に奪われたもの・歪められ変えられてしまったものまで含めての 「すべて」ってことね...。

 

しかし政子は引き止めます。「あなただけイチぬけたなんて許さないわよ」って勢いで。そりゃあそうよね、なんですけど。

ずっとそうだけど義時、自己評価低すぎ...周りのことはよく見えてるのに自分の価値はわかってないっつーか、自分がどのくらい有能で影響力ある立場か、わかってない!? と思う。政子姉さんにはわかってて。

政の駆け引きを知る義時と、鎌倉殿の座を継ぐ子を産み後見になった政子と。その両輪でこれからの鎌倉は回るのです。そういう、鎌倉という組織のシステムそのものになれ、私と一緒にその覚悟を持て、と政子は義時に迫る。互いに大切な存在だった頼朝が築き遺したいわば 「大きな子ども」 とも言える鎌倉幕府を見捨てるわけには行かないでしょ、と。頼朝の髻から出てきた念持仏を渡し「頼朝様もあなたを選んだのだ」 と突きつけて。

(ここの 『アァ...ッ! 受け取ってしまったァ...!!』 とでもいいたげな義時の苦い表情、大好きです!)(でもこの念持仏さ、遺志を託す、というなら息子の頼家に渡してもいいものなのに...義時に、なんだよね...)

頼朝への深い愛を持ってしまった姉弟の「愛のおとしまえ」をつける道程が始まったんだな~! と思いました。

覚悟を決めたとはいえ、たまたま兄上が匿った流人を愛したばっかりに、その流人が志を持った人間だったばっかりに...自分たちがこんな重責を、御家人たちの命運を、背負うことになるなんて。「どうしてこんな大ごとになったんだろう?」という素朴な戸惑いはずっと姉弟の中にはあるよね。自分たちが巻き込まれることもだけど、親族や、かつての友たちまで巻き込むことに、今もできればやめたい、投げ出したくなる気持ち、あると思う。にんげんだもの...。

でもやっていく...。運命を受け入れて、出来る限りのことをやり守れるものは守っていく。

御家人たちは今までどおり仕えつつも、すでに二代目鎌倉殿の、度量を値踏みするような視線で、おとなしく従うとは思えず。スキ有らば己が取って代わろうという権力争いが始まってて。北条の家族すらそのために割れ始めている。そんなふうに内部がガタガタしだせば、坂東の、武士たちの支配権を取り戻したい朝廷が、虎視眈々と つけ入ろうとしてきますよね。難局すぎるわ~!!

 

鎌倉というシステムの執行者にして、その一部になること...義時は適任(すぎるくらい)なんですよね。

とにかく自分を利害の「外」に置けちゃう、勘定から外せてしまう。権勢欲とかないし失脚することへの恐れもない。「頼朝が死んだ時点で自分も死んだも同然」だと思ってるから、失うものが何もないフラットでクールな判断が下せちゃう。全体の利になると思えば理性と感情を切り離せるタイプときてる。うわ、怖い...始末に負えないのではこれ...。というのは今後の勝手な予想なんですけど。

どうする泰時(いきなり息子に振る)。

今後の展開も楽しみです~!

 

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