この頃フッと頭によぎる「もうひとりの私」のような、脳内に住んでる者が言う言葉があります。
それを、とりとめもなくメモしました。
- 絵を描いていると「誰かとかぶっていないかな。また、パクリ・著作権を侵しているって言われるのかな」と気になる。→公開をやめる。
- 「そもそも、私の絵って 誰でも描けるようなものだ。別に私が描かなくていいわ。」→公開をやめる。
- これは私の描いたものだ、と 言えるようなオリジナリティなんて全然ない。 そういう努力をしてこなかったな。
- 個性って、オリジナリティって何だろう。誰にも似ていない、独自のものだと 言い切れるものって何だろう。
- なんか、こんなに人の目を気にしていたら 描くのが楽しいわけない。
- だからといって描くのを辞めて 他の趣味を持つ気にもなれない。
- 何か新しいのめりこめるものを見つけても どうせ 何年もたたないうちに飽きて、または しょうもないキッカケで、さめてしまうのだろう。その繰り返しを私はいつまで続けるのだろう。
- 何かを好きになったときに もう「いつか、飽きるんだろうな」と考え始めてる。
- 好きになって「これこそが生き甲斐、人生のすべて」なんて言ってみたりして、ちょっと経てば飽きて。また次のものに飛びついては捨て。それを繰り返すのだろうか。寿命が尽きるまで それを繰り返すのか。宝物だったはずの作品やキャラクターの 関連グッズや同人誌が 興味を失うことで 価値のわからないゴミに変わるのを経験してきた。たった数年かそれ以下で 大切なものなんて変わってしまう。それを、これからも繰り返すのだろうか。同じものを半生かけて追いかけるような熱意にあこがれるのに、何故私はいつも中途半端なのか。
- 幼いころ・若いころに「これが人生のすべて」と思えるようなものを、ほんの一瞬でも持てた事について、キチンと「しあわせだった」と思うべきじゃないのか?感謝するべきじゃないのか?
- その「ハマッて、いれこんで、覚めて」を、繰り返すのが生きるってことだよ、と開きなおって。抵抗なくその輪廻を楽しめたらいいのに。
- すべての、もう身の回りのすべてのことについて。「そんなものだ」と、深く考えなく出来たら、もっと楽しいことに エネルギーをまわせるのに。
- 私のことを好きだ、と言ってくれる人は、ほとんど「何かを描く私」を好きであって 興味のあるジャンルの絵を描かない私には興味は無いんだよね。私はひとつの「コンテンツ」だ。 私はいつでも「○○の絵を描くドアノブさん」「■■というキャラクター・ジャンルが好きなドアノブさん」だ。そうやって認知されている。違うジャンルに移れば、関係はリセットされ 違うフォロワーさん、違うものが好きな同士とつながる。その繰り返し。
- 私も誰かにとっての偶像であるし、私の好きなものも偶像だ。ファン活動は偶像崇拝だ。お布施を払い、感動や満足をもらってる。御利益がある。御利益がない神仏からは人は離れる。
- でもコンテンツは宗教ではなく、商業活動なので 人を救うことが主の目的じゃない。企業や時代の情勢(採算が合わないからなど)で、作り手の事情によって終わる。作り手もいつかはいなくなる。はかないもの。永遠の救いは与えてくれない。
- 何よりも ひとの「好き」という気持ちが いちばんアヤフヤで不確かで、はかない。
- 顔も知らない人たちに「何が好きか」「何が得意か」以外で 私自身に興味を持ってもらおうなんて 過剰な要求だ。
- どこか 好きなものを通じて誰かとつながることにも 飽きている。 今すぐ、とは言わないが「解脱」したいような気持ちがある。
- 好きなものは つながるキッカケにはなるけど その「後」、趣味を通じて人間関係を広げてもっと仲良くなれるか、続くかどうかは その個々の資質になってくる。私にはその資質が、ない。すぐリセットしてしまう。
- 死ぬまで飽きない何か、熱狂的な生きがいは無くても コツコツ続けられる、静かにより所にできる、何かがほしい。共通の趣味の友人は作れなくても 対象と自分の飽きの来ない・長く続く関係を、見つけたい。何をすればいいのか? やはり、夫の言うように 神様を信仰することなのだろうか?
- この不毛な繰り返しから抜け出したいけれど 生きてる限りはものすごく無理な課題な気もする。抜け出せるのか?
- 何にも熱中しなくても、落ち着いて生きて生きたい。
- 「何も生み出せない私は生きていてもしょうがない」とか「何のために生きてるんだろう」という 何も生まない、自分も回りも苦しいだけの自問自答から、抜け出したい。
- 家族に必要とされている、ただそれだけで「良し」と言える人になりたい。それ以上の、不特定多数からの、承認を求めるから、苦しみが止まないんだ。スマホを手放せないんだ。無限に書きつづけて自分語りしてしまうんだ。
- BLに興味が無くなった。その系統の妄想が、心の救いにならなくなった。キャラクターを欲望のために消費している罪悪感のほうが強くなってしまった。腐女子でいられなくなった。
今、考えていること(頭に浮かんできてしまうこと)を、ぶちまけました。
精神的につらいときは、とにかく考えてることを書き出すことが セルフセラピーとして、役立つそうですね。
ここまで 読んでくださって ありがとうございました。