新型コロナウイルス感染症による 「感染当事者ではない人間が、どんな影響を受けているか」について 膝を打ちたくなる記事に出会いました。
時間意識の変容は、まず記憶の混乱として生じた。コロナ以前の記憶との距離感がつかめない。さまざまな記憶が、はるか遠くに感じられる。コロナ以降の時系列も曖昧だ。ダイアモンドプリンセス? アベノマスク? 志村けん逝去? つい最近だった気もするが、何もかもはるか昔のことのような気もする。いったい3月に、4月に、自分は何をしていただろうか。スケジューラを確認すれば「何をしたか」の記憶はある。まだ認知症の気はなさそうだ。しかし出来事の前後関係や距離感、いわば記憶のパースペクティブがどうもおかしい。フワフワして手応えがなく、のっぺりとして立体感がない。サイクルはあるがリズムがない。こんなおぞましい感覚は、いまだかつて経験がない。
「不要不急」を無くしたら、出来ることをしぼり、シンプルミニマルな精神生活が出来るか? と思ったら 生活丸ごと まるで砂みたいに頭の中から零れ落ちていって 「この2ヶ月、時間の感覚も無ければ、ハッキリした記憶もない...」という虚しさがある。わかる。
ひたすらにうすく、ノッペリと、日々が引き伸ばされていく感じ。おうち時間を充実させよう! という情報や提案も、むなしい抵抗に感じてしまう。
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